東法寺報恩講

  • 2020.09.18 Friday
  • 06:32

 

 令和2年度の東法寺報恩講がお勤めされます。

 

例年なら、9月17,18,19日の三日間なのですが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、18,19日の二日間、13時からの法要のみとなりました。他の寺院からの出勤も、お互いに無しということになりました(生家の本誓寺は出勤します)。

 

 消毒液を置き、椅子の距離を開けました。

 

 今までにはなかった形式の報恩講となりますが、年一回の宗祖親鸞聖人をご縁とする尊い法要であることは変わりません。ご門徒の皆さんと一緒に大切な時間を過ごしたいと思います。

 

 御講師は、芦別市、西林寺ご住職、小林義教師です。

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草花の救出

  • 2020.09.15 Tuesday
  • 23:43

 

                          (前)

 

 

           (現在)

 

 

 この前記事に書きましたが、本堂の前を通る道路と歩道が舗装し直されるということ、そのために街路樹が植えられていたところが潰されてしまうということで、その場所にご門徒からいただいた花などを植えていた私は、それらを大急ぎで移動しなければならないことになりました。与えられた時間はおよそ一週間。

 

 結局、すべてを救い出すことはできませんでした。今振り返ってみると、真っ先に救い出したのは、一番見栄えのいい花。そして、根が浅くて掘り起こしやすい花・・・。自分の都合優先の救出劇であったように思います。根っこがアスファルトのすきまの下にあって、どうしても掘り出すことできなく諦めたものもありました。(このものこそ真っ先に救おうとするのが如来の大慈悲心なんだろうな)そのときふと思いました。

 

 慈悲の心と救いについて、『歎異抄』の中に、親鸞聖人のこんなお言葉が伝えられています。

 

「慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、しかし、思いのままに救い遂げることは、きわめて難しいことです。

 一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲のこころで、思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。

 この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲のこころなのです。

 

 このように聖人は仰せになりました。」(歎異抄現代語版より)

 

 救おうとしても救うことができなかった思いを体験した人にとっては、浄土の慈悲心との出遇い自体が救いなのではないでしょうか。

 

 「自分」という枠を超えた、大きな救いのはたらきに気づかせてくださいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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7日の晩は「本誓寺御堂コンサート」

  • 2020.09.06 Sunday
  • 23:59

 

 9月になりました。報恩講をお勤めする寺院が多い季節であります。

 

今年は新型コロナウイルスのこともあって、なかなか行事が行えない状態が続きましたが、対策をしっかり行うことによって規模を縮小しながらも各寺報恩講をおつとめされるようです。

 

 私の生家である本誓寺(旭川市東8条3丁目2−32)でも、7日の報恩講の後の「御堂コンサート」が例年通り行われることになりました。

 

 出演は、様々な演奏活動をされているフルート奏者の南 加奈子さんと、ピアニストの野口 咲紀さんです。

 

 マスクをする、名前と住所を記入する、など制約がありますが、誰でも聞きに行ける無料のコンサートです。ぜひ生演奏聞きに来てください!9月7日18時30分開演です。

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今月の掲示板の言葉

  • 2020.08.31 Monday
  • 23:53

 

     「どんな生き物も、いのちの先生」

 

 以前、こんな記事を読んだことがあります。

 

 ある公園で、野生化したニワトリが2百数十羽も住み着いているのが発見されました。どうしてこうなったのか調べたら、こんなことがわかったのだそうです。

 

 夏のお祭りの時に、その公園で露店が出されていました。そこではひよこも売られていました。それを見た客が「かわいい」と買っていきます。しかしいつまでもかわいいひよこのままでいるはずはありません。やがて大きなニワトリとなり、「コケコッコー」と大きな声で鳴くようになります。扱いに困った飼い主はどうしたかというと、多くの人が買ったその公園に捨てた、というわけです。

 

 真に身勝手なことですが、いのちがどういうものかということは痛感したことでしょう。

 

 どんな生き物にも、子供の時があり、大人となり、そして老いがあり、病気があり、死があります。そしてそれは自分自身も例外ではないということです。

 

 いのちあるものと向き合うことは、自分自身と向き合うことであります。そして何が本当に大事なことかを示してくれます。

 

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戦争ボケ

  • 2020.08.15 Saturday
  • 22:55

 

 平和ボケという言葉をよく聞きます。その定義を調べると、

 

 「戦争や安全保障に関する自国を取り巻く現状や世界情勢を正確に把握しようとせず、争いごとなく平和な日常が続くという幻想を抱くこと、あるいは自分を取り巻く環境は平和だと思い込み、周りの実情に目を向けようとしないことなどを意味する表現」

 

 とありました。でも、「平和ボケ」という言葉があるのなら、反対の「戦争ボケ」という言葉もきっとあるはずです。私が勝手に定義して、

 

 「戦争という状況に向かうことが正しいこと、当たり前のことになってしまって、戦争の悲惨さ苦しさに鈍感になった状態」と書いてみましたがいかがでしょうか。

 

 戦争を手段とする正しい目的などないはずです。今日8月15日にふと思いました。

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今月の掲示板の言葉

  • 2020.07.31 Friday
  • 23:01

 

    「念仏は、如来の功徳に満たされた声」

 

 先日、両親が好きなラーメン店に行ってきました。結構賑わっていました。

 

 麺類を食べるとき、私が両親によく言っていることは、「つゆを飲み過ぎないように」。私も気をつけています。塩分を取り過ぎないようにするためです。

 

 さて、久しぶりのラーメン、私はあっという間に食べてしまいました。横にいる両親を見てみると、まだ半分も食べていません。しばらく待っていなければならないようです。手持ち無沙汰な私は、残したラーメンのつゆの中のラーメンの切れはしを集めてつゆと一緒に一口。うまい!。この一口でやめようと思ったのですが、まだ待たなければならないようなのでまた一口・・・そしてまた一口・・・。気がついたらつゆのほとんどを飲んでしまっていました。・・・やっぱり旭川のラーメンはうまいですね・・・。

 

 お釈迦様は「人間の欲望は、喉が渇いているときに海水を飲むようなもの。飲めば飲むほど喉が渇く」とおっしゃったそうです。欲望というものは、満たされたと思ってもまた新たな欲望が生まれて、とどまることはなく、かえって苦しみが生じることになる、ということでしょう。

 

 仏様は決して私たちの欲望をかなえてくださる存在ではありません。反対に、欲望に振り回されて苦しむ私の姿を知らせてくださるのが仏様の法です。

 

 親鸞聖人がつくられたご和讃に、このような一首があります。

 

             本願力にあいぬれば   むなしくすぐるひとぞなき  

     

             功徳の宝海みちみちて   煩悩の濁水へだてなし

 

 (本願のはたらきに出会ったものは、むなしく迷いの世界にとどまることがない。あらゆる功徳をそなえた名号は宝の海のように満ちわたり、濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない)

 

 本当に私のこころをみたしてくださるものに出会いましょう。

 

 

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いい知らせと悪い知らせ

  • 2020.07.14 Tuesday
  • 23:46

 

 今朝、作業着を着た方が来て「近々、前の道路で工事を行う」という知らせを受けました。どのような工事を行うのか詳しく聞くと、そこには、私にとっていい知らせと悪い知らせがありました。さて、どちらを先にお知らせしましょうか。

 

 まず、いい方の知らせですが、本堂の玄関の前を通る車道と歩道を、全部きれいにするそうです。しかも電柱も取り払うとのこと。写真ではわかりませんが、今現在はガタガタの状態で、ひび割れたところからは雑草が生えてくる始末。それを直してくれるのは有り難いことです。

 

 そして悪い方の知らせですが、歩道の中の街路樹が植えてある所を全部潰してしまうということ。

 

 そこには、ご門徒の方々からいただいた、あじさい、グラジオラス、桔梗などが植えてあります。朝起きて、それらに水をやって育ち具合を見るのが私の楽しみだったのに。お隣のアパートの所では、もっとたくさんの花を植えていたアパートの住人の方が泣いていましたよ。

 

 通学路でもあるので、歩道を広くしたいということもあるのでしょう。

 

 これから引っ越し。人間も花も大変です。

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7月6日は常例法座の日

  • 2020.07.03 Friday
  • 23:57

 

 7月6日午後1時より、本堂において常例法座をお勤めします。

 

 新型コロナウイルスを警戒してしばらくお休みしていましたが、長期間旭川からは感染者が出ていないこと、予防の仕方が浸透したことを鑑みて、5ヶ月ぶりに再開することになりました。

 

 全国の状況をみれば、まだ安心は出来ませんので、風通しをよくする、椅子と椅子の間隔をあける、出入り口に消毒液を置く、マスクを忘れた方のために用意しておく、といった対策をとりたいと思います。ご協力をお願いいたします。

 

 御講師は、幕別町、顕勝寺、芳滝智仁師です。

 

 どなたでも、どうぞお参り下さい。

 

 

 

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よい子、悪い子

  • 2020.06.20 Saturday
  • 00:01

 

 今日、市内の老舗のスーパーに行ったら、エスカレーター付近でこんなアナウンスが流れていました。

 

 「よい子の皆さん。エスカレーターに乗るときは、手すりにつかまり、足下を見て手すりより外に顔や体を出さないように・・、危ないのでエスカレーターの近くでは遊ばないようにしましょう」

 

 「よい」「悪い」という言葉に反応しやすい僧侶は、すかさず頭の中で突っ込みを入れます。

 

(よい子の皆さん?。ということは、悪い子の皆さんは放っておくわけ?だいたい悪い子の方が何をしでかすかもわからない危なっかしい存在なのだから、この場合は、「悪い子の皆さん!」と呼びかけるべきでは・・・)

 

 ああ、でも「悪い子のみなさん」と呼びかけたら、ほとんどの人は他人事ととって聞き流してしまうかもしれませんね。

 

 
 

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今月の掲示板の言葉

  • 2020.05.29 Friday
  • 22:27

 

  「仏法を聞いて、本当の私の姿と向き合う」

 

 以前、テレビの番組で、こんな実験が行われているのを見ました。

 

 鏡に映っている自分の顔を見て、一番いい顔に見える角度を決めます。そしてその角度から撮った写真を、他の様々な角度から撮った数枚の写真の中に混ぜて、他の人に一番いい顔に映っていると思う写真を選ばせたら、果たして本人が一番いいと思っている角度から撮った写真を選ぶだろうか?ということなのですが、結果は、ほとんどの人が違う写真を選んでいました。

 

 なぜなのか、ということなのですが、出演していた専門家の考えに「なるほど」と思いました。

 その考えというのは、鏡で見ている自分は、実際の姿とは左右反対に映っている。右の手を上げれば鏡は左の手を上げる。顔も、左右反対に見ているので、他の人が実際に見ている顔と、印象に違いがあるからではないか、というものでした。

 

 確かに、例えばほくろの位置が右か左かで、印象は変わってくるのでしょう。鏡に映っている自分の姿は、他人が見た自分の姿ではない、ということなのですね。

 

 仏教の「顛倒」(てんどう 逆さまにみている。人間の真理から離れた誤った見方のこと)という言葉を思い出しました。

 

 

 親鸞聖人が作られたご和讃で、私がよく引用させていただいている一首です。

 

     煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども

 

     大悲ものうきことなくて 常にわが身を照らすなり

 

 (煩悩に覆われて、如来のお救いの光明を見ることは出来ないけれど、如来の大悲心は決して休むことなく、常にわが身を照らし包んで下さっている)

 

 如来に向かって手を合わせる生活を送っているつもりの私ですが、仏法を聞けば聞くほど、自分の思っている姿とは正反対に、如来に背を向けて離れていくような行いをしている本当の自分の姿を思い知らされるばかりです。しかし、そういう私を如来のほうから(煩悩で汚れた私の目では拝見することは出来ないけれど)常にお救いの光明で照らして下さっている、ということです。

 

 救われる道は、私にとって遠くにある目標でもあこがれでもない、今の本当の姿、あるがままの私にすでに届いてくださっている、ということですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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